入間支部

平成29年度

○セミナー(武蔵野の落ち葉堆肥農法について)の開催

 平成29年9月27日(水)、ウェスタ川越でセミナー(講演会)を開催しました。出席者は22人(うち会員外2人)であった。
 今回のセミナーは、埼玉県弘済会創立40周年記念事業として開催することとなり、テーマについては今年3月に「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が日本農業遺産に認定されましたことから、世界農業遺産推進協議会(事務局三芳町観光産業課)の打田欽也氏を講師に、このご報告の講演をしていただきました。

 それは、三芳町が中心となり、川越市・所沢市・ふじみ野市の3市1町(武蔵野地域)を対象にして、「武蔵野落ち葉堆肥農法」の世界農業遺産認定申請承認及び日本農業遺産認定の申請を行ったもので、3月に農林水産省から審査結果が発表され、国内の優れた農法として「日本農業遺産」に認定されたものであります。世界農業遺産の認定申請は見送りとなりましたが、日本農業遺産として他の地域とともに初の認定で、しかも首都圏で唯一という快挙でありました。
 なお、協議会としては、当面日本農業遺産として足もとを固めていくことが大切であると考えており、これを契機に伝統農法の継承や地域の活性化に取り組んでいく。また、世界農業遺産は2年おきに申請受1入間セミナー(児島さん)付なので、課題である価値の科学的根拠など、世界のトレンドをみながら考えていきたいとのことであった。
 その「落ち葉堆肥農法」とは、武蔵野台地に位置する当地域は火山灰土に厚く覆われ作物が育ちにくい土地でしたが、江戸時代から多くの木を植えて平地林(ヤマ)として育て、木々の落ち葉を掃き集め、堆肥として畑に入れて、土壌改良を行ってきました。こうした360年にわたり続けてこられた伝統農法であります。この農法は今も受け継がれ、それにより平地林は各市町全域にその面影を多く残し、育成・管理されて景観や生物の多様性を育むシステムとして機能しています。このようなシステムや落ち葉掃きなどの取り組みが評価され、将来に受け継がれるべき伝統的な農業遺産として、その価値が評価されたものでありました。

 会員からは、現役当時この地域の土地・農業行政に携われた方も居られ、三富材の活用、薪ストーブの普及、はびこる竹対策(カゴなど竹細工への利用)、デパートでの特産野菜セットや地ビールとのセット販売など、将来を見据えた建設的な意見などもあって、とても意義深いセミナーとなりました。
 現代になっても生き続ける先人の知恵。それは、自然と共に生活を送ってきたあかしなのである。自然の恵みを利用し、環境にやさしい農業経営が続けられる。まさに現代の課題に応えられるものなのであることを知らされました。

 

○ふるさと再発見事業

『寺めぐりと豆腐料理のつどい』(所沢編)

 入間支部では、ふるさとの自然、文化などを再発見するため、毎年3地区部会(川越・所沢飯能・坂戸)が持ち回りで「ふるさと再発見事業」を行っております。
 本年度は、所沢市西武球場前駅付近の『「狭山不動尊」と山口観音(金乗院)の参拝と「豆腐料理」(深山)のつどい』を、平成29年10月20 日(金)に実施いたしました。
 あいにくと肌寒い小雨の中でしたが、13人の参加者が、地域の歴史に親しみ、豆腐料理を堪能しながら、和気あいあいと親睦を深めることができた一日でした。
 * 狭山不動尊の歴史 昭和50 年に西武グループがプリンスホテルを開発する際に、芝増上寺をはじめとする文化財をこの地に集め、天台宗別格本山として建立した。(狭山山不動寺)
 * 金乗院(こんじょういん・山口観音とも称される) 古くから観音信仰の霊場として知られ、観音像や観音堂は、奈良時代の僧行基によって弘仁年間に開かれたと伝えられ、この寺は、その別当寺であった。(吾庵山法向寺)

 

平成28年度

○ふるさと再発見地域めぐり

 川越の洋風建築をたずねて

 平成28年10月25日(火)、秋晴れに恵まれ、支部の恒例行事である「ふるさと再発見地域めぐり」が開催されました。IMG_1804
  川越の洋風建築を訪ねて、歴史や文化にふれあいながら、楽しい秋の一日を過ごすことができました。
 参加者24名は、本川越駅西口に集合し、川越市立博物館職員の講師のもとに、徒歩で情緒あふれる町並みを散策しました。
 川越は、明治に入ると城下で蓄えられていた商人たちの力が発揮され、商都として発展します。川越米穀取引所、第八十五国立銀行、川越織物市場など、米穀と繊維を主流に、政府の富国強兵政策に尽力しました。
 その後、明治26年の大火からの復興を経て、大正から昭和にかけては、川越にも訪れた近代化の時流に乗って、洋風建築も増えていきます。医院、銀行、教会、百貨店など、モダンな建築が、江戸黒の重厚な土蔵造りとともに町並みを形成していくことになります。
 なお、震災や戦災の大きな被害を受けていないことも幸いし、現役で活用されている建造物が数多く残されています。

 

○大正浪漫夢通り

 以前は川越銀座商店街としてその名のとおり川越随一の賑わいを見せていました。蔵造りや伝統的な町家、洋風建築、3階建木造建築などが混在する独特の町並みです。
 なお、昭和36年に県下初のアーケード街になりましたが、老朽化のため平成7年に撤去を決断し、「大正浪漫のまちづくり規範」に基づいて、町並み形成に取り組まれています。

○日本聖公会川越キリスト教会

 DSC_4813A 大正10年建築、国登録有形文化財で、市内に残る唯一のレンガ造りの建物です。スレートを葺いた急勾配の屋根と、尖塔アーチ型の窓が垂直性を強調し、全体として中世ゴシック建築を思わせる重厚なデザインとなっています。

 

 

 

 

 ○川越商工会議所(旧武州銀行川越支店)

 DSC_4818A 昭和2年建築、国登録有形文化財で、外観はギリシャ風神殿を思わせ、外壁に連なるドリス式の柱が並び立つ重厚な造りで、銀行建築に相応しい力強い安定感を感じさせます。また玄関の上に設けられたメダリオン装飾など、緻密なデザインがなされています。

 

 

 

 

 ○旧川越織物市場及び旧栄養食配給所

  明治43年建築、市指定文化財で、それは木造2階建て長屋状の建物2棟などです。
 衰退にあった川越織物流通業界の起死回生をかけて、織物市場が建築されました。しかし、大正時代には廃止され、その後は長屋住宅として平成13年まで使われていました。
 また、旧栄養食配給所は、元々市場の事務所として併せて建築され、昭和9年に栄養食配給所に代わり、内部にはカマドなど当時の遺構が残っています。これら併せて貴重な産業遺産となっています。

 ○旧山崎家別邸

DSC_5202A 大正14年建築、建物は市指定文化財、庭園は国登録記念物で、老舗菓子店亀屋5代目山崎嘉七の隠居所として建てられました。和洋折衷の2階建ての洋館と平屋の和風住宅、そして庭園、茶室が一つの空間をつくっています。
 また、洋館の壁にはステンドグラスが配置され、特に泰山木の花の白さと鳥の赤い冠羽が印象的です。
 なお、当時川越を訪れる皇族方をもてなす迎賓的役割が豪商達に求められていたようで、この別邸もそうした迎賓館の役割も果たしたようです。

 

 

 

○埼玉りそな銀行川越支店(旧八十五銀行本店本館)

 DSC_5236A 大正7年建築、国登録有形文化財で、今も昔も川越一番街のランドマークとなっています。外観はサラセン模様のタイルと六角柱にドームがのるネオルネサンス様式を取り入れた建物です。当時最先端の技術を導入し、鉄骨鉄筋コンクリート造の建築としては現存する最初期のものです。設計者の保岡勝也は、現在の三菱地所の前身の三菱社で技師長を務めた人物で、大正5年に独立して、川越では山吉ビルと旧山崎家別邸も作品として残されています。

 

 

 

○太陽軒(レストラン)

DSC_4835A 昭和四年頃建築の国登録有形文化財で、昭和初期という時代を写した建物で、ピンクグレーの外壁と幾何学模様の窓や扉を持ち、角の入口周りに曲面のデザインがあしらわれています。往時のモダンな洋食店の様子を彷彿させてくれます。

 

 

 

  最後に、今はこのような古い建築物が観光に対しても大きな役割を果たしていますが、川越の人はずっとあるものを当たり前のように生活の中で使っていたのでしょう。残したというよりも、残ってしまった、と言えるかもしれません。ところが、「江戸時代からの蔵が残っているぞ」ということで、観光地になったというわけで、川越の昨今の発展状況からみると、古い建造物を修復して残しておくことは、観光に対しても大きな役割を果たしているように思います。しかし、所有者の方々の都合や事情もあると考えられ、どのようにしたら納得が得られ、今後とも保存及び活用が図っていけるかなど、行政当局並びに関係者の方々の大変さが痛感されました。